心のお話
心のお話
最近、お仕事に直接関係のある事柄ばかり書いているので、また違った部分で幅広くみなさんと共有できればいいなと思い記事を書いてみました。
私は昭和48年生まれの団塊ジュニア世代です。
私の世代は前後1~2年位はとても我慢を強いられた世代ではないでしょうか?
そして、年齢も45を境に、社会にあっても中心となって責任を負う世代であるころでしょう。私も含め、このストレス社会の中でやりきれない思いを秘めながら必死になって日常を過ごし、目まぐるしく時が経ち、気がつけば憔悴しきった自分が腰もかけずに壁にもたれかかるような毎日ではないでしょうか。
私はいろんな人からアドバイスをうけたり、本を読んだり、少しでも良い心の置きどころを探しますが、自分自身でなかなかしっくりこないことが多々ありました。
このような無気力というか虚脱感のような「ぼんやりとした不安」は一体なんなのか。その問を自らにぶつける時に、私はふと気が付きました。
「適当でいいんだ‥」と。
ひたすら自らに不平不満をなげかけたり、自分の環境を嘆いたり、何かを変えようと思えば思うほど、押し寄せてくる虚脱の波に私は抗(あらが)おうと必死にもがいていましたが、それは真剣過ぎる程に、「より良く生きよう」と考えすぎていたと気づきました。
団塊ジュニア世代でなくても、日々を真剣により良く生きようとする全ての人は、本当に真面目に生きており、周りのことにも気を配り、自己実現と社会矛盾の渦巻く底なし沼に足をすくわれていました。
そんな時に、スイッチを入れたかのように「不真面目な考え方」にでもなってやればいいんだと思いました。
会社努めのサラリーマンなら、「そんなに真面目にやらなくても良いんだ」と自分が自分にいってやる。主婦なら「そんなに真面目に家のことやらなくてもイイよ」と側で寄り添うように自分が自分にいってやる。
自分が思うほど、世の中は真面目じゃない。
そう自分が思うことからはじめると、少し気が楽になったような気がしました。
いま、いろんなことで気持ちがふさがっている人がこの記事を読んでいるのだとすれば、私はあなたに伝えてあげたい。
「真面目にがんばって来て、本当にお疲れ様。」と。
そして、時間がかかってもイイから、今度は自分の心の中で自分が「少しくらい不真面目になっても大丈夫だよ」といってあげてください。